FC2ブログ

第33段 麦のひと穂出

L1090296(1).jpg

麦のひと穂出
5月の終わりごろの時節を言うのだろうか。
「麦のひと穂出」。

今の老婆(80歳程度)が、おばあさんから聞いた話である。
「麦のひと穂出」の時期は、昼間に眠くなる。
春眠など問題でないほど眠い。
白昼、泥棒が家に入っても眠り込んでしまっている。
それほど眠い時期だと聞いたと言う。
確かにこの時期は、眠い。

L1090275(1).jpg

仕事をしている諸姉、諸兄。
仕事中でも少しなら寝ていいような気がします。
何せ「麦のひと穂出」、この時期だけですが。
スポンサーサイト



第32段 お葬式に参列して

L1080310.jpg

お葬式の映画は、何故か印象深い。

伊丹十三監督の「お葬式」。
滝田洋二郎監督の「おくりびと」どちらも映画館に2度足を運んだ。

「お葬式」に出演した俳優の山崎努氏は、「桜吹雪の舞う季節に、私も死にたい」と話された。出演者も十分関係するであろうが、根本的には、「死」をどこまで追求するか。

映画の映像と写真は、違うかもしれないが、お墓の写真を撮ったことが有るが、撮りきれなかった。
人生経験の少なさ。
浅学ゆえであった。

「お葬式」を演じた俳優、女優の素晴らしさ。カメラワーク、総合力の監督に脱帽。

田舎者の私は、俳優の山崎努氏と話したいと思った。

第31段 写真のマチエールを考える

つぼみ(1)

写真のマチエールを考える。 

白い花から「厚み」について教えられた。
写真と絵画の決定的な違いは、マチエールと書かれた文面を覚えている。
ここでのマチエールの意味は、「厚み」を意味する。
しかし、白色に関しては、写真でも「厚み」が表現できる。

L1090280(1).jpg

花に限るかもしれない。
しかし、写真技術の向上は、「厚み」を過去の話と化す日を迎えつつある。
フィルムからデジタルに変わり、今までの常識が非常識になった部分もある。

写真に限らず、今を意識して生きていかなくてはならない。

第30段 ありがとうを言葉にすること

L1080194.jpg

結婚して二十数年、初めて女房にメッセージで「ありがとう」を伝えることが出来た。

日本の男は、女房に「ありがとう」の言葉を伝えない。
私もその一人。
伝えることの恥ずかしさ、はにかみ、今更、などなどである。

二十数年、伝えたことがないと、伝えるタイミングも大変である。
女房の誕生日、異国に2人で出かけた。
その夜、友達にサプライズをお願いした。

夜8時、友達が知り合いを呼び、一緒に宴会が始まった。
1時間ほどして、真っ白いケーキが運ばれた。
それと同時にハッピバースデーの音楽が流れる。
そこにいたメンバーが歌い出した。
異国、初めて会った人たち、混乱気味の女房の顔、少しして、満願の笑顔。

私からの感謝を綴ったメッセージ。

この世に及んでも、「はにかみ」もあり、「ありがとうは」、言葉に出来なかった。

第29段  広告に感服する

L1080330(1).jpg

女性の、衣服、バッグ、化粧品等のポスター。
モデルさんの美貌もさることながら、納得、感服、見入ってしまう。
美の頂点をモデルさんと一緒に表現する。
ブランドが廃らないわけである。
モデルさんをブランドと重ね合わせ、同時に時代を捉え、今を表現する。
切磋琢磨のブランド力。

L1090013(1).jpg

一方、写真を撮る側の力量も要求される。
内面の博学性、モデルさんの特徴を出す顕著化の見極め等、総合力が必要不可欠。
研ぎ澄まされた毎日を、過ごされていることを想像する。
ブランドの底力をポスターを通して知った。

第28段 「落花すること」を想う

L1090134(1).jpg

落花する花。
落花することにより、目を見張る花がある。
咲き誇っていた以上の輝きを見せる。
花の偉大さに畏敬の念を抱く。

L1080876.jpg

「最終の美」は、落花の場所が左右する。
これは、「定め」。
その言葉しか、思い浮かばない。
落花して自身が輝く花、「他」を盛り上げる花びら、様々である。

コテージ1(1)

落花している、その場所を凝視。
やはり、「定め」しか思い浮かばない。

第27段 きれいな水辺に育つ「セリ」を想う

L1090148(1).jpg

「セリ」は、春の七草の一つに数えられている。

見つけた「セリ」は、きれいな水辺の土手に群生していた。
きれいな水を育んで、大きくなった「セリ」。

L1090149(1).jpg

この状況を頭に描いて食べる。
これが贅沢。
食べたらおいしいに決まっている。

L1090150(1).jpg

40代後半、都会の親友が子供を連れて山菜取りに来た。
30代までは、都会でなくてはと考えていたが、歳を重ねるごとに田舎志向になった。

きれいな水辺で戯れた者は、きれいな水辺の素性を映す。
一方、ビルの谷間に営む者は、都会の素性を映す。

それほど間違ってはいないと思う。

第26段 学生時代を想う

L1040591(1).jpg

純白の心に色彩を重ね、ヤドカリのように殻を探し歩く学生時代。
楽しいことが有り過ぎるあまり、もがき苦しむことが多い。

輝いていた、何をやっても花だった、昔を静観する。
あの時のもがき苦しみ、楽しんだ日々。
過ぎ去った出来事を噛み砕き(かみくだき)、苦笑いをする。
そんな時、世間は、歳をとったと揶揄する。

L1040609.jpg

やっと、若かりし頃の分岐点が解りだした。
あの時、「ああすれば、良かった」多くの人がその言葉を発する。

それもまたよし。

しかし、「良いと思ったこと」が駄目で、「良くないと思ったこと」が、充実を招いている事例は、山ほどある。
人生は、解らない。
そんな言葉を発することが出来るほど、物事が解っている訳ではない。
ただ、良いと思ったこと、駄目だと思ったこと、どちらも良かったり、悪かったり。

L1080183.jpg

そのことだけは、よく解る。

日本公園を考える -もっと良くなれ、日本の公園―

 134_20170520164754269.jpg

ヨーロッパの公園は、樹木、芝生などが綺麗に整備され、そこを利用する人々から「おしゃれ」が伝わってきた。

141.jpg

変わって、日本。
「おしゃれ」には程遠い。
生活スタイルの差。
まだまだ、公園の利用がライフスタイルとして定着していない。

s_L1080973.jpg

「おしゃれ」が良いばかりではない。
ライフスタイルとして定着すると、公園に関心を持ち始め、「おしゃれ」に近づくのでは?

L1080944.jpg

日本人が真摯に公園を考える時、「すてき」の一言の公園が生まれる。
心の余裕がないのだろうか。
日本の公園が、「おしゃれ」になるとき、ライフスタイルも確実に向上する。
身近にある「公園」を生活の延長線として利用する日を待ち望む。

第25段 「親と子」の「思い入れ」の違い

御所柿1

子供が幼少の頃、「柿」を食べた後、「柿の種」を庭に蒔いた。
種を蒔き、「柿」を食べるため、だと言う。
子供の行動に、微笑みをもって聞いた。

柿木と空

しかし、目が出て、徐々に大きくなり、20年ほどして「柿」が実った。
桃栗3年、柿八年。という諺を知っているが、20年余である。

柿の大木1

柿が実った時、都会に住む子供に伝え、食べに帰るよう連絡をした。
親としては、思い入れもあり、食べることは、大イベントである。
一方、子供は、何の関心も示さない。

「柿の木」は、駐車場からの車の出し入れの際、邪魔である。
しかし、どうしても切れない。

子供に聞けば、「切れば」と簡単に応えると察する。
この違いが、「親と子」の「思い入れ」の違いである。見上げた柿木





プロフィール

はせ 鱗人

Author:はせ 鱗人
外人と間違われることシバシバ。
趣味は、魚釣り。幼少から父親に連れられ魚と戯れた。骨董収集、主に絵画、陶磁器
出身学校 明治大学商学部

カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR