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第13段 カタクリを思う

カタクリ 群生_NEW
 カタクリの花は、群生して咲く。春の女神と言われるギフチョウが蜜を吸いにこの可憐な花に集まる。
 紫色の花も素敵だが、葉っぱが何とも言えず上品。
 根の深さは、30センチほど。

 昔、風邪をひくと体が温まると言うことで、片栗粉をお湯に溶かして食した。昔の片栗粉は、このカタクリが原料である。
 お吸い物としても美味しい。味は、甘く、見た目は、花の紫色が残り、乙なものである。

 北向きの斜面に咲くとある。南向きが似合う。この花を見るとつくづくそう感じる。
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第12段 清明の朝

外国でも清明
人の気配がない、雨上がりの早朝。昨夜の雨が、嫌なことや、昨日までのもやもや、喧騒などを全て洗い流す。

季節は、「清明」から「穀雨」。寒くもなく、暑くもない。それだけで、贅沢である。
その贅沢に「鳥のさえずり」と「明るさを増していく、空からの薄日」が加わる。

一瞬、時間が止まる。このような時があっても良い。
誰にも訪れている。見逃さないように、折角の、ご褒美。

日本男児 昔、今、これからに意見をください

車に挟まれる

第10段は、母親学級への男の対応を記載。そのことに対し、40代前半の女性から意見を頂いた。

「一緒に講座に参加してくれる男の人が理想です」時代の流れは、イクメンであり、子育ても料理も一緒にする男性。「日本男児」なる言葉は、今、聞きません。男性の有り方は、時代とともに変わります。「なるほど」「なるほど」

700年前の吉田兼好の時代は、瞬時に多くの方から意見を頂くことは不可能だった。ネット時代、先生を凌駕する事が有るとすれば、ネットにより多くの人の声を集め、それを咀嚼し、伝えること。

読者の皆様、是非、この男の有り方に「どのような意見」でも構いませんので、一言お願いします。

第11段 新車購入に思う

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新車を購入した。今までの車は、13年間乗った。車会社は、大安の日を納車日に指定してくれた。
新車を取りに行く日、感謝の気持ちを持って掃除をした。運転席のマットは、すり減り、ハンドルは日に焼けて凹凸がない個所もある。エンジンの調子は、購入時とほとんど変わらず、良好。

経済を左右する車の生産は、燃費からはじまり、常に技術革新に挑戦する。走行距離、およそ13万キロ。東南アジアでは、20万キロは、当たり前だと聞く。
日本では、13年前の車は、通りを走っていることも希である。周りと比較して、比較されて物事が進む。車に限ったことではない。

第10段 日本男児 昔、今、これから

鳥を運ぶ
日本男児なる言葉を発する男は、骨董品扱いかもしれない。「男の在り方」を通して日本男児について考えたい。30年ほど前、子供が授かると、行政から「母親学級」なる案内通知が届いた。「子供を産む準備」、「親になるための心構え」等の講座と解釈する。

父親予備軍の男達がいた。一人目は、ご主人さんも一緒にお越しくださいの通知を見て、女房と一緒に参加した男、二人目は、講座に女房と行くなど恥ずかしく、とんでもないと言った男、三人目は、一緒の参加は恥ずかしいので、会場近くの飲み屋で時間を潰し、講座終了後に一緒に帰宅した男。様々である。どの男が、女房に対して良いのか。どの男が、男として共鳴できるか。どの男が、子供に慕われるのか等々。全てではないが、この行動一つから、見えてくるものがある。

どの男が良いかの議論ではない。しかし、後ろを振り向くと、女性にもてる。子供に愛される、一緒に酒を飲みに行こうと男から誘われる。この3人の中に左記に当てはまる男がいる。

第9段 親密な夫婦は、夫婦の数だけある

夫婦
90歳を過ぎた父、もうすぐ90歳になる母。入院先で妄想を語り、現実が混乱している母。父がお見舞いに来た時、一瞬、穏やかな顔になり手を取って「座りないよ」と言った。「手をつないだ?」
常日頃、頑固でどうしようもないと父の行動を愚痴る母。

世間では、夫婦とは「簡単に割り切れるものではない」「他人がどうこう言うものではない」等良く言われる。しかし、この言葉の意味が解ったのは、この瞬間。この世の中には、言葉では解っているが、解らないことがある。解らず、通り過ぎていることが、どれほどあるのだろうか。

第8段 桜に思う(6 さくら最終)

花びらを敷く
「散る桜 残る桜も 散る桜」有名な、良寛和尚様の辞世の句。時折吹く風に、桜の花びらが舞わされる。今年の桜は、もう少しで終わる。もう少しで完結する。花びらを散り敷いたタンポポは、何を言おうとしているのだろうか。言おうとしないなら、タンポポに代わって一言、誰か言ってほしい。タンポポの隣には、綿帽子から離された綿毛が居場所を決め込む。

謳歌する花
謳歌する白い花は、落下して桜の花びらと重なり合うのだろうか。その時、謳歌している白い花は、何というのだろうか。言おうとしないなら、白い花に代わって誰かに聞きたい。

第7段 風雨の翌日

桜が散った
もうすぐ90歳になる母は、手術を受けるため入院をした。5年ほど前の入院時も同じであったが、「せん妄(もう)」と言い、急におかしなことを言いだし、点滴の針を抜いてしまうなどで病院からは3回呼び出された。その時は、「せん妄(もう)」の知識もなく、どうなることかと案じた。

しっかりした母であったが、痴呆も少し入り、寄る年には勝てないと、親を通して未来の自分を重ねる。病室の窓からは、昨夜の大雨と風により散ってしまった桜が眺められる。短期間で散る桜の潔さは、賛辞の言葉が多い。人間の死と同一には、考えられない。しかし、どちらも、定めである。

この年まで生きたから、いつ死んでも良いと言っている母。散った桜をカメラに収めた後、死期がふと頭をよぎった。「いつ死ぬか」いったい誰が決めるのだろうか。

第6段 桜に思う(4) ―早朝の桜―

早朝の桜
桜に関するうん蓄は、山ほどある。しかし、花見の時間帯を記載したものは、ごく稀である。桜の持つ清浄感は、早朝が最も漂う。華やかな桜の静かさを感じ取ることができる。
源氏物語の著者である紫式部は、「朝」が一番と言った。日本画家の巨匠、横山大観は、桜描写に「かがり火」を多投し、夜桜を描いている。時間により桜自体の「表れ」が変化する。桜は、魅惑、妖艶、一つの言葉では表現できない。

百人一首「ひさかたの ひかりのどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ」。
この歌は、視覚的にとらえられ、心情までをも表現している。「静けさ、柔らかな日差し」、平成の現代でこの歌が詠まれたならば、まさに早朝であると考えるが、私だけであろうか。

第5段 さくらへの思い(3)

山間の桜
桜に関する記述は、多くの著名人が記している。
「さまざまなこと 思い出す 桜かな」芭蕉が詠んだ句。まさにこの時節、桜を見て様々のことを思い浮かべる。感慨ひとしおである。様々な人がいる。桜を見る以前に、桜の存在感そのものを辛くて、受けいれられない人もいる。皆が皆、桜に浮かれている訳ではない。春を象徴する花であり、花見を受け付けない人には、尚更つらい季節である。

でも、悲しく辛い人にも寄り添う桜があります。山間にひっそり咲く桜は、心のすき間に入り、ほっとする一時を与えてくれます。
それよりなにより、いつの日か、必ず、「ジーンとする」桜を見ることが出来ます。そんな桜は、静かにあなたを待っています。
プロフィール

はせ 鱗人

Author:はせ 鱗人
外人と間違われることシバシバ。
趣味は、魚釣り。幼少から父親に連れられ魚と戯れた。骨董収集、主に絵画、陶磁器
出身学校 明治大学商学部

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